日本の新聞社の戦争責任を問う -新聞社と新聞記者の戦争責任-
人々の関心を巧みに操る言論機関
1945年(昭和20年)08月15日、日本国民は敗戦の日を迎えた。日本の新聞社は、敗戦の日の前日まで国民を戦争に駆り立てる新聞を発行していた。我が国が戦争に負けた日から現在に至るまで、戦時中から存在しつづけている日本の新聞社は、自らの戦争責任と真剣に向き合ったことが一度でもあるだろうか。
無いはずだ。むしろ彼等は、そのお得意の言論機関を通じて「自分達は戦争の被害者である」と世間に訴え、自らの戦争責任ついては世に知らせる事無く、その罪と責任を他者に転嫁するかのような真似をし続けてきた。
戦後になると、戦時中から存在している日本の新聞社は、昭和天皇の戦争責任を追求する本を夥しく発行し、旧日本軍に関する記事を大量に書いて売り始めた。
もしもこれらの書籍や記事が、自分達だけは戦争責任から免れたいとの一心から企画され、人々の関心を意図的に操るために書かれたものであるならば、その事自体、じつに商売上手なやり方であると感服せざるを得ないと共に、日本国民の側からすれば断じて許される行為ではないと怒りを覚えずにはいられない。
戦後78年目を迎えた今日、まったく不思議でならないのは、戦時中は日本国民を戦争へと駆り立てていた全ての新聞社が悪びれた様子もなく、今なお新聞を発行し続けている事だ。新聞を発行するだけではない。戦時中から存在し続けている新聞社に勤めている新聞記者達は、何様のつもりで居るのか分からないが、夏が来ると毎年のように「日本国民は先の戦争に対する反省が足りない」だの、「日本国民は他国の人達に謝罪しなければならない」だのと記事にする。
今日の日本国民の多くは戦争が終わってから生まれたはずだ。日本の新聞社と新聞記者は自分達が犯した大きな過ちを棚に上げて、なぜ戦後生まれの国民に対してブツクサ文句を垂れるのだろうか。
筋から言えば、戦争当時、日本国民を一億玉砕させるかのような新聞を発行し続けた新聞社と、戦争を煽る記事を書き続けた新聞記者が、先ずは自らの戦争責任を厳しく問うたうえで深く反省し、戦争の被害に遭った人達に謝罪しなければならないはずだ。
金のためなら戦争を煽り、金のためなら平和を煽る
第二次世界大戦中、日本の新聞社は軍部と一体化して戦争報道を行うことで新聞の発行部数を大幅に伸ばして利益をあげつづけた。とりわけ戦争中期から戦争末期にかけての新聞社は、戦争それ自体を自社の利益を拡大させる好機と捉えていた。
テレビもネットも無かった。ラジオは限られた家庭にしか置かれていなかった。遠方に離れた者同士の一般的な連絡手段は、国に検閲される恐れのある手紙やハガキだった。戦争当時の日本国民が世の中の動きをよく知る為には新聞を買って読む以外に方法はなかった。
戦時中、日本の全ての新聞社が大本営発表の戦果を無批判に報道しつづけた。国民は嘘の戦果が載った新聞の記事を見て、日本は勝ち続けていると本気で信じ、思想や行為の全てを戦争に捧げるかのような真似をさせられ続けた。
日本の新聞社と新聞記者は、兵隊として戦地に行くのであれ、工場で武器を作るのであれ、生活を困窮させるのであれ、全ては御国のためだと勇ましい言葉で鼓舞し、国民に多大な犠牲を払うよう求め続けた。
結果として日本国民は、多くの若者達を戦場に送り出して死なせると共に、連日連夜の絨毯爆撃で生死をさまよう憂き目に遭いながら、二発の原子爆弾の投下によって敗戦の日を迎えた。その事で、多くの国民が傷つき、家族を失い、財産を失い、仕事を失った。当時の日本国民の多くが、ひどく混乱した社会の中で生きていかなければならなかった。
戦争が終わると、軍隊と財閥が解体されて、農地改革が行われて、戦後賠償に直面する民間企業が相次いだ。東京裁判で裁かれた軍の首脳部や政治家の多くが絞首刑に処された。戦争で親を亡くした子供達が過酷な生活を強いられたことも忘れてはならない。
その一方、戦争に負けるまでは日本軍に加担していた新聞社は、戦争に負けてからは占領軍の広報機関として働く道を選んでくれた。かつて好戦的な新聞を発行していた新聞社は被害者面して新聞を発行し始め、かつては鬼畜米兵などと記事に書いて国民を煽っていた新聞記者達は何食わぬ顔して平和を唱える記事を書き始めた。
戦時中に犯した過ちに対する罪滅ぼしとして日本の新聞社と新聞記者がした事はと言えば、各社、数人から数十人の幹部を辞職させただけである。
新聞社と新聞記者の戦争責任
今一度、その事についてよく考えてみたい。戦時中、日本の新聞社と新聞記者が日本国民に対して行っていた行為は、強いて言うなら他国に対する侵略行為の基となる好戦的な新聞の発行は、企業の幹部が辞職するだけで済まされるような軽いものなのだろうか。
第二次世界大戦中、新聞社が一丸となって好戦的な新聞を発行するのではなく、新聞記者が一丸となって対外強硬論を唱えるのではなく、軍が発表した戦果を国民に向けて発表するだけではなく、新聞記者一人ひとりが勇気と良心と信念に基づいて、他の新聞社の主義主張に異議を唱えて社会のバランスを保つ努力を少しでもしていれば、日本国内が戦争一色に染まることなどなかったはずだ。国民すべてが戦争に、その身を捧げる事などあり得なかったはずだ。
新聞社と新聞記者には、自社や己の欲求を満たすより先に、権力を監視しながら人々に警鐘を鳴らすという大事な役割がある。その役割を当然のように果たしてこそ、一つの営利企業が初めて新聞社として認められ、一人の会社員も初めて新聞記者として認めてもらう事ができる。逆に言うと、その役割を放棄したときに新聞社は存在価値を失い、新聞記者も存在理由を無くしてしまうはずだ。
暴力と弾圧を恐れ、権力を監視する役割を放棄した。その後は一丸となって自国の国民を戦争へと駆り立てる記事を書いて新聞に掲載しつづけた。誰しも死にたくなるほど苦しい拷問など受けたくはない。当時の相手は日本帝国、行け行けの軍事国家だ。そこまでは理解できる。
理解に苦しむのは、戦争で負けた途端に被害者の側へと身を転じ、自分達がしていた事の全てを「やむを得なかった」との言葉だけで片付け、その全ての責任を、昭和天皇、旧日本軍、日本国民に押し付けた後に、戦時中から存在し続けている現在の新聞社や、また、そうした新聞社に勤めている新聞記者達が、まるで他人事のように過去の戦争を扱っている事だ。
戦後になって新聞社の幾つかは、戦時中における自社の行いについて検証した資料を公にしている。しかしそれ等の資料は、罪を犯した張本人が自身を検証した上で、自らは何の罪も犯していないと述べた感想文と何も変わらない。
日本の新聞社と新聞記者は、戦後の日本政府や日本国民から第三者の視点という客観性をもって戦争責任を問われた事がない。戦後の日本政府や日本国民から、その存在価値と存在理由を問われた事が一度もない。
日本の言論を支配する報道体制
今なお日本国内の言論界を支配しているのが戦時中から存在し続けている新聞社であるからこそ、戦争を遂行していた者達だけに謝罪や賠償が求められている。
今なお日本国内には、何かあるとすぐに「報道の自由」を持ち出して自分達の正当性を声高に主張する一方、自分達にとって都合の悪いことについては「報道しない自由」を利用して隠蔽する新聞社が存在する。
事実、自分達の犯した過ちを反省して謝罪しない、腐り切った営利企業に勤めている性根の腐った会社員達に過去の戦争を書き立てられて文句を言われるほど腹が立つことはない。
戦争責任を問われた組織や人物、また問題視された制度や法律の多くは、強制的にせよ自主的にせよこの世から滅んだ。「戦後」という新しい時代を迎えるにあたって、当時の人達の多くが、とてもつない痛みが伴うのを知りながらも多くの面で協力したからこそ、それは可能になったはずだ。
しかし、戦時中の報道体制(記者クラブ制度)は維持され続けて今に至り、戦時中から存在している新聞社も無傷で残り続けている。無傷で残るどころか、ほぼ全ての新聞社がテレビ局とラジオ局を手中に収めて巨大なグループ企業へと成長し、夥しい数の自社のウェブサイトを運営しながら日本の言論界の頂点に君臨し続けている。
なぜ今も日本国内を戦争一色に染め抜いた悪しき報道体制(記者クラブ制度)が維持されているのだろうか。自らの戦争責任から逃げつづけている新聞社や新聞記者が、なぜ問題として取り上げられないのだろうか。これは明らかに日本国民全体の問題であり、今後の日本の行方を左右する大きな問題である。これまでがそうであったように、これから先も彼等を許し続けるならば、日本の社会では「大きな声を出すことができて金を持っている組織や人物は何をしても良く、誰からもその事を問われない」ということが当たり前になる。
戦前から戦後にかけて新聞に翻弄され続けた人達の事だけではなく、この先、日本という国で生きてゆく未来ある人達のことを思うのであるならば、戦時中から存在し続けている日本の新聞社を断じて許してはならない。
日本国民がかつての戦争に対して、心から反省をするという意味でも、他国の人達に謝罪をするという意味においても、今なお一丸となって煽れば日本国民を戦争へと駆り立てることができるだけの言論の力を持っている新聞社の存在は妨げになっている。
何より私達は、同じ過ちは二度と繰り返さないと誓った。その誓いを確実なものとする為に、今こそ私達は過去の清算に踏み切らなければならない。
先の大戦における日本国民の謝罪と反省は、戦時中から存在し続けている新聞社すべての廃業と、記者クラブすべての解体をもって、初めて可能になるだろう。
2023年07月掲載 御用新聞 PCサイト・携帯サイト |
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